ホリエモンの「本音で生きる」を読んで

ホリエモンの「本音で生きる」を読み終わったので、思ったこと考えたことなど書き残しておこうと思います。

なぜ人は本音で生きられないのか

ホリエモンはこの本の中で、「本音で生きる」ことが大事だし、そもそもそれはそんなに難しいことではないはずだと言っている。できない理由を自分で作り出して言い訳しているだけなのだと。

でも、世の中を見渡してみると「本音」で生きている人はそれほど多くないように思える。

なぜ人は「本音」で生きられないのだろうか。何が「本音で生きる」ことを妨げているのだろうか。

根底にあるのは一種の思い込みだと思う。ホリエモンが「言い訳」としてばっさり切り捨てたできない理由は、大半の人にとっては捨ててはならない大事なものとして認識されている。

それは育ってくる環境で自然と刷り込まれてきたのだと思う。

和を乱してはならない。きちんと勉強して良い大学に行って良い会社に就職することこそが幸せである。こんん虚はないけれど何となくそういうものだと思ってきた常識が自分自身を「本音で生きる」ことから遠ざけてしまっている。

「常識は18歳になるまでに集めた偏見のコレクションである」とはよく言ったもので、結局自分自身で自分を縛ってしまっているのだろう。

自分がそれまで正しいと信じてきた枠からはみ出すのは不安に違いないし、そういった不安にしたがって足を踏み出せないのだろう。

本音で生きるために

ホリエモンはこの本の中で「小利口になるな」と言っている。

自分の信じてきた正しさとそうではない本音について考え込んでしまうことで動けなくなってしまう。

 不安を不安と思わないくらいバカになって本音で生きてみて、それでうまくいったという成功体験に背中を押されてもっと本音を出してみて、というサイクルが回ってくると段々本音で生きられるようになるのではないかと思う。

不安を忘れて一歩踏み出せるバカになること、踏み出した先でまた踏み出そうとおもえるような成功体験を得ることが何より大事になりそうだ。

ホリエモンはある種の生存バイアスで、うまくいったからそう言えるだけなのかもしれないし、本音で生きようとしたことで逆に生きづらくなってしまった人ももしかしたらいるのかもしれない。

きっとどちらもあるのだろう。

本音で生きてみたいと思えるかどうか。

それが一番大事なのだろう。